歴史と暦史

以下の文章は、ディスクを整理していて発見した、2003年の10月頃(ファイルの日付は2003/10/14)に書いていたと思われるもの。



個人的興味で、明治〜昭和に活躍した武術家の年表を作っている。で、武田惣角嘉納治五郎の生年月日が特定できずに悩んでいるのである。

武田惣角はともかく嘉納治五郎は書籍やWWW上にいくらでも情報があるだろう、と云われそうだが、どうもそれらが今一つ信用出来ないのである。

月日は、数字自体は問題が無い。武田惣角:10月10日、嘉納治五郎:10月28日、で、諸資料が一致している。問題は生年である。この二人、同年もしくは一年違いの生まれらしき事までは判っている。

ざっと調べてみると、以下の各説が見つかった。

    武田
        1859年‐安政6年
        1860年‐万延元年
        1860年‐和暦表記無し

    嘉納
        1859年‐和暦表記無し
        1860年安政7年
        1860年‐万延元年

とまぁ、見事にバラバラなんである。何故にこんな事になるか、というと、

  • 明治6年1月1日に太陽暦に移行するまで、日本は(いわゆる)旧暦だった事
    • 明治5年12月3日(1873年1月1日)を明治6年1月1日とした
    • 即ち、明治5年の12月は二日間しかなかった。
  • 幕末期は世情不安の為、改元が相次いだが、特に安政→万延→文久は短スパンだった事
        185?/??/?? 安政6/01/01
             ??/??   6/10/10
        1860/01/01   6/12/09
             01/23 安政7/01/01
             03/24   7/03/03 桜田門外の変
             04/08 万延1/03/18 万延と改元
             10/10   1/??/??
             ??/??   1/10/10                            
        1861/01/01   1/11/22
             02/10   2/01/01
             ??/?? 文久1/02/19 文久改元
  • 改元された年をどちらの年号で呼ぶか
    • 明治までは、改元とはある年の年号を改める事、だったらしい
    • つまり、改元のあった年はその年全部が元号元年扱いになる?

等に無知・不注意だった事が絡み合ってこんな事になったと思われる。

例えば、『1860年10月10日』と書かれていればこれは明らかに西暦表記な訳で、和暦では万延元年の9月頃?になる。
逆に『万延元年10月10日』と書かれてあれば、西暦では1860年11月頃?となる。
『1860(万延元)年10月10日』等と云う表記は、有体に云えば暦の事を全く考慮していない表記な訳で、結果、日付にも信頼がおけなくなってしまう。
1860年10月10日』と『万延元年10月10日』は、全く別の日なのだ。


果たして、幕末生き残りの両者は、自分の生年月日を元号&旧暦で称したのだろうか、それともグレゴリオ暦に換算したものを称したのだろうか、或いは、当時はまだ数えで年齢を数えていただろうから、そもそも生年月日など気にしなかったのか。
万延、文久、元治、慶応、明治、大正、昭和と、7つの元号を生きた世代の感性・常識は、正直私の想像の及ぶ所ではない。正確な所を知るには、菩提寺過去帳やら戸籍やらを追うしかないのだろう。


この手の話をすると、西暦に統一すれば云々と云う声が聞こえてきそうだが、西暦だって今のグレゴリオ暦になったのは、切り替えの早い国で1582年で、イギリスでは150年以上遅れた1752年、ロシア、ギリシャ等に至っては1900年代になってからで、日本より遅い*1のだ。

それ以前はどこもユリウス暦だった訳で、新暦と旧暦の問題は各国毎に存在*2しているのだ。


それにしても、漂泊の武人であった武田惣角はともかく、仮にも近代五輪競技の一つの創始者である嘉納治五郎に関して、まともな公式情報が整備されていない*3と云うのは、嘆かわしい限りである。

と云うか、一技術系サラリーマンにこんな事云わせるなよ・・・



以上、はてな記法対応でのフォーマット修正と明らかな誤記のみ手を入れたが、あとは当時のそのままの文章である。

今回の日記化にあたって、当時Webで調べたメモの各URLを改めて確認した所、8件中5件が電網世界から消滅していた。ドッグイヤーどころかラットイヤー状態である。

一方で、去るサイトがあれば来るサイトもある。

Wikipediaでは、嘉納治五郎 1860年12月9日(旧暦万延元年10月28日) - 1938年5月4日)となっている。武田惣角については、残念乍ら西暦年だけ(月日無し)の表記になっている。

はてなダイアリーのキーワード検索では、逆に嘉納治五郎の記述が殆ど無く、武田惣角については 1859年?10月10日生まれ。 となっている。


グレゴリオ暦への改暦に関する情報も殆どWebから拾った筈だが、URLはメモが無かった。ネタ元が別にあったという事だけ明記しておく。


最後に、そもそもの話の発端であった筈の武術家年表、当然の如く未完である。と云うか、すっかり存在を忘れていた。そんなもんだろ、世の中ってのは。

*1:先に書いた様に、日本は1873年に対応。正確には対応しようとして、閏年例外の扱い(100で割り切れる年は〜、400で割り切れる年は〜、のアレ)を法令中で言及し忘れていた。後の1898年5月11日(100で割り切れる年である1900年の1年ちょっと前 (^^; )に、この例外条件に関する追加法令を出し、晴れて完全なグレゴリオ暦になった。

*2:1582年の切り替え時で10日程のズレを生じていたという。UNIX環境に詳しい方なら、『man cal』のラストの記述を想起されるだろう。『cal 9 1752』で11日間の欠落が表示されるアレである。アメリカの独立宣言が1776年の4th of July(いわゆる独立記念日)、イギリスがアメリカの独立を正式に承認したのが1783年。アメリカ生まれのUNIXは、かつての宗主国イギリスの暦を引き継いだ訳か。

*3:少なくとも講道館のサイトからは嘉納治五郎の年譜は見つけられなかった。自分達の開祖の正確な記録を整理・公開する位の事はして欲しいものだ。